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そろそろFF11の昔話を始めようか 2008.10.29(水) |
先日(っつっても一ヶ月前だけどw)、マイミクに追加した人なんですけど 俺が以前FF11をやってた時の知り合いだった人です。 FF11引退後から実に四年半ほどたってからの再会でした。 再会ってのも何かちょっと違うか?w それで懐かしさのあまり自分のサイト内のFF11のコンテンツを見たりしてたんですけど 当時の事とかが色々思い出されてきて、これはちょっとFF11のことでも日記にしてみるか、みたいな。 ま、FF11やってなかった人は置いてきぼりになるわけですけど、 俺の日記が極限られた少人数向けなのはいつもの事なので全く持って無問題。 俺がFF11を始めたのは確か、2002年7月の事だったか。 サービス開始から一ヵ月半ほどしか経って無い頃なので、まぁ、どっちかと言えば初期組だろう。 後から思ったことだけど、この初期組ってのが良かったと思う。 もし、もっと後からFF11を始めていたとしたら、一年半もの間プレイしなかった気がする。 と言うのも、最初はみんな何をすれば良いのか分からないので、完全に手探りでのプレイになるから。 ネトゲに限った事では無いけれど、何をすれば良いのか和から無い状態でのプレイってのがゲームで一番楽しい時だからなぁ。 それが時間と共にだんだんとゲーム内でのルールが出来てくるんだよな。 レベル○の時はこの敵と戦う、金稼ぎはこうやる、と言ったテンプレートや 街中でのsay会話は控えるだとか、無意味なシャウトは禁止だとか、ネトゲの意味が無くなりそうな謎マナーまで。 もっと後にプレイを始めていたら、こーゆーのを高レベル者(廃人)に押し付けられてしまい、 そーなると、自由に出来るはずのゲームで不自由な思いをすると言う何が何だか分からない状態になってしまう。 もし、初めてすぐにそんな窮屈な思いをしていたら何の未練も無くすぐにやめていただろう。 尤も俺もレベルが上がるにつれて“効率”と言うエサの下、周りに迎合したプレイになり、 結局ゲーム内でレベル上げと言う名の仕事をしてるような状態になってしまった。 パーティプレイによるバトルなんていうのも楽しいのは最初だけで、 同じ敵を延々と二時間も三時間も倒し続けると言うのは未経験者でもあまり楽しいものでは無いと分かってもらえると思うw まぁ、パーティメンバーによっては、“チャットのついでにレベル上げ”的な感覚にもなれるんだけど。 ただ、俺も途中から「高レベル者」の枠内に入ったから分かるんだけど、 その場所にいる人は少しでも早くレベルを上げる事しか考えて無い人が割りと多く、 そういった楽しめるパーティになる可能性は低いと言わざるを得なかった。 結局のところ、ゲームとして楽しかったのは最初の1〜2ヶ月だけだったと言える。 そして恐らくこの事は、殆どのネトゲにおける真理であるとも思う。(しかも初期組限定) はっきり言ってそれ以降の一年以上は、チャットツール&惰性がプレイ理由の9割ほどを締めていた気がするw 運営側も定期的にイベントなどを用意するが、カンフル剤的な面白さはあってもそれが恒常的になる可能性は低い。 そうなるとプレイヤー側が自主的に何かを主催したりするわけだけど、自由に出来る枠と言うのが異常に狭いんだよな。 あと、経験地ロストの所為でみんな死にそうになる無駄な事はしなくなって、ますますレベル上げしかやる事が無くなるしw レベル中盤の頃はさ、「レベルを上げた先に何かがあるはず」と思って苦行をこなしていたのに、 レベルを上げた先には更なる苦行のレベル上げしかなかった時は絶望したよw 「絶望した!レベルを上げても何の意味も無いなんて絶望した!」 何か、昔話と言いつつ書いてることはFF批判ばっかりな気がしてきたw これじゃアレなんで、最後に幾つか個人的に楽しかったエピソードを。 俺の初パーティはレベル8だったプレイ三日目。 ネトゲ内でも引きこもりの俺は自分から他人に話しかけられず寂しい日々を送っていたw そんな時、MPが無い状態でゴブリンに絡まれ、「ああ、また死んでレベルが下がる…」と諦めモードの時、 俺のキャラがケアルの光に包まれて回復、一命を取り留めた。 どうも近くにいた人が辻ケアルをしてくれたらしく、御礼を言いヒーリングに入ると向こうから話しかけてくれ、 こちらが初心者であることを告げると色々と教えてくれた。 それこそ、オートランやトレードのやり方など、説明書に載ってそう(見て無いから知らんけどw)な事まで。 こーゆーのをチュートリアルで学ぶんじゃなくて、人から学ぶのがいいよねー。 その人と一緒に、2〜5人くらいの入れ替わりで10時間くらいパーティを組んだけど楽しかった。 ま、経験値は500くらいしか稼げなかったけどw 次に砂丘時代の苦楽を共にしたメンバーと一緒にLSを立ち上げた事かな。 当時の砂丘はまさに大きな壁だった。 何が壁かと言うとそれはもちろんサレコウベ、である。 しかも我々バス民は、ほぼ間違いなくサポクエを砂丘で受けてしまうと言う罠があったw サレコウベを落とすグールは、夜しか出ない・数自体が少ない・中々落とさない・強い、の四重苦。 一緒に砂丘入りしたメンバー達の分を集めるのに一週間ほどセルビナに常駐したよなぁw その時のメンバーと後にLSを作り、色んなイベントを一緒にした事、これがなかったら引退はもっと早かっただろうなぁ。 あるいはその方が良かったのかもしれないがwww 余談だが後に砂丘で鋼鉄鎧を着たナイトがサポ取りの手伝いをしているのを見て、なんだか悲しくなった。 最後にレベル50代後半の時。 パーティに誘われた直後、 「え、詩人誘えたの?じゃさっき誘った赤は断るね」 「みすwwww」 の連続コンボで泣きそうになっていて、今日はもう寝るかと思っていたときに来たパーティの誘い。 「戦シ白白黒ですけどパーティ組みませんか?」 の誘いに、編成がどうのとか考える間もなく光の速さで了解の旨を伝えた所、返ってきた返信が 「さっき言ったの全部サポの話で、全員赤ですけどwwww」 うはwwwwwおkwwwwwwwww シャイン→バーニン→シャイン→バーニン→シャイン→レタスの六連携+六人でMBとかwwwww リフレが無かった当時、赤は完全にお荷物ジョブだったけど、こういう楽しみ方が出来るのもまた赤だったよなぁ。 リレフ導入で赤は人気ジョブになったけど、残念ながらをれは俺の望んでいた赤の姿ではなかったな。 |
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